No.152 未来予想図の過去①
- あっちゃん attyan
- 2018年6月28日
- 読了時間: 3分
あっちゃんの分岐点、第1話 『両親の軋轢が最高に達し、互いに絶縁状態になる』 それでは、過去と向き合っていきます〆(・ω・o) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜概要〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 小学4年生あたりまで、普通に楽しい日々を過ごす ↓ 小学5年生あたりから、両親の喧嘩が増え出す ↓ 『両親=恐怖』が、植え付けられる 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 小学校低学年くらいまでですかねー 僕は、普通に毎日が楽しかったです! 運動大好きなアクティブな子でした! 保育園のマラソン大会(園外を一周)では、毎年、3位以内に入ってましたし、なわとびがめちゃ得意でしたね! 校内で一番飛んでました! 勉強はまあまあしてましたけど、放課後(授業後)は、毎日のように友達と外で遊ぶか、友達の家でゲームをするかの、どちらかでしたね! 『どろかん』という、どろけいと缶蹴りを組み合わせた遊びも、流行ってました! あとは、野球とかサッカーとか遊戯王とデュエルマスターズとかポケモンとかドラクエとか、男の子らしい(?)生活を送ってました! しかし、そんな楽しい毎日は、小学4年生あたりまででした はっきりとは覚えてないですけど、5年生あたりから、両親の喧嘩が始まりました。 それ以前は、特別に仲が良いというわけでもないですが、喧嘩を見たことはありませんでした。 両親の喧嘩は、口喧嘩からから始まり、時には、泣きながら叫ぶ声や椅子を投げてガラスが割れる音などにまで発展していきました。 2階建ての一軒家に住んでいて、喧嘩はいつも1階だったのですが、罵声や壁を殴る音などは、モロに聞こえていました。 今、こうして書いているうちも、鮮明にその音が蘇ってきます 僕は末っ子なので、末っ子のチカラを使って止めに入ろうかと、喧嘩が起こるたびに何度も思いましたが、あまりの恐ろしさに足が動きませんでした。 僕はただ、ゲームをすることで気を紛らわし、喧嘩が終わるのを待っていることしかできませんでした。 喧嘩が終わった後は、たいてい、母親が泣いているのですが、僕は、何も言葉をかけることができませんでした。 このときの唯一の救いは、僕に飛び火しなかったことです。 こんなことが3年間ほど続きました (いつのまにか終わっていたので、はっきりとは覚えていませんが・・・) ここから感じたことは、両親に対する恐怖心です 両親=恐怖です 自分に飛び火してないのに、変な話ですよね ただ、あの罵声やガラスの割れる音などが、脳にこびり付いて、「親を怒らせたらこんなことをされるんだろうな」と、勝手に思っているからでしょうね 例えば、僕が「親の尊敬するところは?」とか「親から学んだことは?」と質問されても、上手く答えれる自信が無いです。 だからといって、「両親のことが嫌いか?」と質問されたら、迷うこと無く「嫌いじゃない」と答えます! だって、『親』だから そんな、両親に対するイメージが出来上がった小・中学生時代でした!
〜〜〜今回、学んだこと〜〜〜
恐怖感は、精神的距離感を離れさせる
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 次回は、 ②ヘルペスにかかり、入院する。死を間近に感じる です! (*´∇`)ノシ ではでは~ ☆今回の質問☆
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